teacup. [ 掲示板 ] [ 掲示板作成 ] [ 有料掲示板 ] [ ブログ ]

 投稿者
  題名
  内容 入力補助画像・ファイル<IMG> youtubeの<IFRAME>タグが利用可能です。(詳細)
    
 URL
[ ケータイで使う ] [ BBSティッカー ] [ 書込み通知 ]


事象の地平線

 投稿者:しま  投稿日:2008年12月 1日(月)22時06分9秒
返信・引用
   大文字のKAZさん、ブログへのコメントありがとうございました。KAZさんのコメントへのご返事と、今回の件も含めて考えた事をまとめてみました。


 インフォームドコンセントが聴覚障害者にたいしてどの程度徹底されているのかという事について、もしも医師や医療機関、聴覚障害当事者、通訳者にそれぞれアンケートを採るとおそらくかなり違った回答が帰ってくるのではないかと思っています。手話通訳を介さない場合のインフォームドコンセントについて、おそらく医師は十分なインフォームドコンセントを行っていると答えるでしょうし、聴覚障害者は十分に理解していると答えるのではないかと思ってます。この両者の答えとは違った答えをするであろうと思っているのが通訳者で、おそらく通訳者はインフォームドコンセントは不十分と答えるのではないでしょうか。この違いは何処から生じるのでしょう。

 医師は同じ日本人であり、聞こえないとはいえ読み書きは出来るはずで、日本語は理解出来る筈だからという前提に立っているだろうと思います。彼らにとっては聞こえないだけの日本人だから、丁寧に日本語で書いて伝えているのだからインフォームドコンセントのための努力義務は十分に果たしたと考えているでしょう。彼らは「聴覚障害者の情報障害」について正確に理解していない事の方が多く(というか、理解していないのが普通と考えた方が良いでしょう)、筆談や身振り手振りで説明すれば(場合によってはゆっくりと口を動かして口の動きを見せれば)、十分に伝わると思っているでしょうから(場合によってはそれすら考えていないのでしょうから)自身では十分に伝えたつもりでいるのではないでしょうか。家人の麻酔医の反応はそれすらせずに基本情報だけを印刷されたもので伝えたに留まっているという点ではかなり稚拙なインフォームドコンセントだったといえると思います。

 聴覚障害者の場合、彼らの情報には「事象の地平線」が存在していると私は考えています。「事象の地平線」とは、天文学用語で光の速度で伝搬する情報でさえ到達する事の出来ない領域との境界面の事を指し、宇宙の果てを指していたり、ブラックホール周辺に展開するシュバルツシルト面 (ブラックホールの途方もない重力により光が脱出する事が出来なくなる限界の面)を指していたりする言葉で、事象の地平線の向こう側の事は完全にこちらからは判らない状態になっています。

 つまり、聴覚障害者の事象の地平線は彼ら自身が経験した事のない「通常の情報量の世界」は彼らのいつも経験している「情報量の制限された世界」とは格段の違いがありますが、彼らにとって「通常の情報量の世界」はシュバルツシルト面の向こう側に存在する事象の地平線の彼方の世界で、彼らは通常の情報量の世界に存在している情報量がどれほどのものなのかを知らないため、自身が経験している情報量で満足している(満足せざるを得ない状況にある訳ですが)訳で、そこから事象の地平線の向こう側がどうなっているのか判らないので、「インフォームドコンセントに満足しているか」と聞かれれば、満足はしていなくてもこんなものだろうと思っているのでしょうから、「満足している」と答えるしかないだろうと思います。

 ところが、シュバルツシルト面の内側にいて情報量の多い世界を知っている通訳者にとってはシュバルツシルト面の外側の情報量の少なさは異常に見える訳で、それで満足していられる訳はないというように思う訳です。情報の量、質共に絶対的に不足している状況をまずは知らしめる事が大切なのじゃないかと思うんですよね。

 以前、地元のろう者と話していた時に明らかになってお互いにびっくりしていたのは病院の診察室内で聞こえる患者と医師がどんな話をしているのかという事でした。彼は診察室内では医師の話を聞くか医師の質問に答えるだけで、こちらから医師に質問をするなんて言うのは以ての外だと思っていたそうです。少なくとも、彼の周囲のろう者の間ではそれが常識だった様子で、医師にたいして質問をするなんていう発想そのものがなかったそうです。ところが、聴者の中では医師に聞きたい事を質問するのは常識で、病院へは治療も勿論の事ですが、様々な疑問(病気に関する注意事項や例えば食生活での注意や怪我などの場合は「お風呂には入って良いのか?」といった単純な質問まで)を解決するために医師に聞くというのも病院へ行く重要な用件になっています。診察の重要な要素の一つとしてそういった会話が存在していると思っている聴者と、そんな事思いもしないろう者では医師の活用度が全く違っているという事になります。また、医師は、聴覚障害患者から質問が出てこない状況を「十分理解している」と捉えるでしょうから、益々インフォームドコンセントに問題はないと理解していく事になり、マイナスのスパイラルに陥ってしまう事にもなります。こういう状況から脱出するには、聴覚障害者(ろう者)に聴者がいったいどんな事をしているのかを知らせる事が必要なのでしょうね。聴者と医師のやりとりを知れば、聴覚障害者(ろう者)の現状のインフォームドコンセントに対する評価は大きく変わるでしょう。そうなった時に、どんな対応が必要なのでしょうか。

 改めて現状の医療での通訳の様子を考えると、聴覚障害者が本当のインフォームドコンセントの状況を知らない事を良い事に、甘えて適当に対応している通訳者というのも存在しているように思います。いやいや、これは極々一部の通訳者だと思いますが、自身の知識不足や情報保障のスキルを棚に上げて、とりあえず傍目からは通じているように見えている事から自身の通訳を現実以上に評価し、それに満足している通訳者が確実に存在しているように思います。この極一部の通訳者には現実を真摯に受け止め、自身の欠けているスキルや知識を改善する努力をして貰わなければいけないと思いますが、こういう人は古参のいわゆる「おばちゃん通訳者」だとか、「親切な通訳者」で、情報保障をしているという感覚以上にお世話をしてあげているという感覚の強い人なのではないでしょうか。また、「私、通訳下手だからゴメンね」と平然とした顔で言い切れる人だったりするのではないでしょうか。こういう人には根本的な改善が求められる訳ですが、なかなか難しいのでしょうね。そうなると、命に関わる問題でもある訳で、そこから退いて頂く事が全ての面で将来に禍根を残さない唯一の方法という事になってしまうのかも知れません。

 また、医師については、聴覚障害という障害や情報障害という問題を正確に理解して頂く啓蒙が必要だと思っています。が、「先生」と呼ばれる人の多くは他者に教えを請うという事に異常な反応をする人が多く、医師へのアプローチはデリケートさが要求されるのではないでしょうか。また、どうすればより多くの情報が伝えられるのか、手話通訳を効果的に活用するにはどうすればいいのかといった医療現場での情報保障の課題を理解して頂くプレゼンテーションも必要だと思います。が、「忙しくてそれどころではない」という医療現場の実情もある訳で、そこを上手くやる方法というのも考えないといけないのでしょうね。

 聴覚障害者への医療知識の啓蒙や予防医学の講座といった事の開催は、結果的に通訳者の負担を激減するとても良い手段でもあると思っています。これらの活動についての予算化をどうにかする事で、今以上に、聴覚障害者の医療問題の解決に拍車をかける事が出来るのではないかというのが私の見方です。

http://riverwind.blog69.fc2.com/

 
 

Re: 通訳者の同乗

 投稿者:kaz  投稿日:2008年11月16日(日)10時55分33秒
返信・引用
  > No.229[元記事へ]

 しまさん、ありがとうございました。やはり原則そうですね。タクシーの利用も頭に浮かびました。なにかにつけ通訳者に頼る、のか、通訳者がそのようにし向けてきた、のか、いずれにしてもそのような経過のある地域ですから、一度には無理でしょうが、会合などで話題にして少しずつお互いの意識改革していきます。通訳者の負担軽減(ろう者側から見ると)かろう者の救援か、大変難しい話題になりそう。
 聴覚障害者福祉に関わらず確かに行政には、本人の声をストレートに受け止めない傾向(公平性が保てないから?)がありますね。この問題も、事例が続き通訳者からの報告が的確になされなければ土俵に乗りそうにありません。
 そう言えば、代理電話で病院へ緊急問い合わせの際受け入れ拒否されたようです。そんなこともあり、通訳者も一刻も早く自分の車でという気になったのでしょうね。ちなみに、病院では救急車を呼ぶほどではないと言われたようです。
 

通訳者の同乗

 投稿者:しま  投稿日:2008年11月15日(土)23時37分5秒
返信・引用
   kazさんどうもです。すっかり同じ方だと思っていました。さて、通訳者が運転する車で同行するという事については様々な評価があると思いますが、基本的にはしない方が良いのだと思います。例えば同乗しての移動中に事故にあった場合、保険の手続き上ややこしい事になる事も予想されますから、一般的には「原則禁止」というケースが多いように思います。ご提示のようなケースだとお一人暮し(若しくは家族に運転出来る人がいないか車がない)で病院までの公共交通機関が無く、遠いという事であれば救急車を呼び、同乗するか帰りの事を考えると自家用車で後を追うというのがベターなのかも知れませんね。
 通訳者の運転する車で移動も出来るとなると断然その方が便利な上にお金がかからない訳でこんなに楽な事はないでしょうからみんなそうしたがる可能性も多く、危険ですね。そうなると通訳者の本来の仕事以外の部分のストレスが増えてしまうので原則禁止。やむを得ない場合は双方合意の上で認めるという形にせざる得ないでしょうね。
都市部では運転免許を持っていない通訳者や車を持っていない通訳者も多く、緊急時の通訳者の移動方法の確保が問題になった事があります。消防側からは「救急車で迎えに行く」という提案も出たようですが、現実的な方法としてタクシー(費用は制度持ち)に落ち着いたようです。夜間や緊急時の派遣体制整備には行政や医療機関との連携や協力が必至ですが医療機関も判ってはいてもそれどころではない状態ですし、行政はイマイチ事の重大さに想いが至っていない様子で「予算がない」の一点張り。命の責任は誰が取るのでしょうね。
 

同乗につい

 投稿者:kaz  投稿日:2008年11月15日(土)08時03分39秒
返信・引用
  こんにちは。また、わからないことがあり、お聞きします。
状況は・・・ここ、救急外来のある病院から車で1時間のところ。公共交通機関はありません。ある晩、突然の腹痛。これは数ヶ月前の手術の後遺症というか、その関係で起こるものとは分かっている。救急車を呼ぶほどではないがずっと我慢はできない。あいにく家人は留守。で、通訳者にメール。すぐ来てくれる。一応近くの病院へ代理電話で確認してもらうがやはり救急へ行くこととなった。通訳者と相談の結果通訳者の車で病院へ。処置を終わりま通訳者の車で家へ戻ったのは夜中だった。
 通訳者の車で。ここのところ、どうなのでしょう。実は、その後直接派遣依頼(という方法が派遣要綱の中で認められています)報告が派遣事業者(市)に出たのです。同乗については通訳者とろう者の合意で決めることになっています。また、派遣料は家を出発してから通訳終了まで計算されます。同乗について一般的な考え方を教えてください。

 関係ありませんが、しばらく前にブログのコメント欄にkazさんというかたが書き込みしていらっしゃいましたが、私ではありません。
 

先ほどの件で

 投稿者:スウメイ  投稿日:2008年10月15日(水)10時22分39秒
返信・引用
  先ほど掲載した件で、クリックしても出なくなったようです。

日本手話検定協会
http://www.nihon-shuwa.com/index.html
 

手話検定

 投稿者:スウメイ  投稿日:2008年 8月26日(火)23時54分51秒
返信・引用
  しま様

ご返信ありがとうございます。全国手話検定もかなりの動員のようで、結構大変な事になるかな?と思いました。受験者を増やせば増やすほど、ある意味で大変でしょう。
 

手話検定

 投稿者:しま  投稿日:2008年 8月21日(木)17時26分39秒
返信・引用
  スウメイさんご投稿ありがとうございます。

 最初に手話技能検定が出てきた時、正直、「上手くやったなぁ」と思いましたね。商売上も、波及効果や認知度も、最初にやるという事が如何に大きいか、この部分はとても重要な事なんですよね。技能検定協会に対して全日ろう連は「手話を商品化するとはけしからん」だとか、「そもそも、手話の普及は我々が進めてきたものなのに横から出てきてかすめ取っていった」的な文句を言ったりと、地団駄を踏んでいる様子が手に取るように分かる反応でしたね。その後、手話の普及や全国的なレベルアップなどのニーズ(がホントにあったかどうかは別として)ろう連主導の手話技能検定の様なものをしようという話が出てきたように理解しています。つまり、老舗のプライドが黙っていなかったという事なんでしょうが、その時既に検定協会の認知度はとても高くなっていて、そう簡単に牙城を崩せる状態ではないという事を見誤っていたんじゃないでしょうかね。実のところ、検定協会とろう連とで手を組んで技能検定試験をより良いモノにしていく方が現実的だったのではないかと思っているんですが、そこはそれ、「プライド」が邪魔をしたのでしょうかね。
 「第三の勢力」については、スウメイさんのご投稿で知った程度で、詳しくは知りませんが、そもそも私は「日本手話」の定義に懐疑的でして、「ろう者の手話」=「日本手話」というのなら、全ての手話が日本手話なんじゃないのかと思っています。いや、だからといって日本手話なんてモノは存在しないとか、日本手話の存在を否定するものでは決してありません。確かに「日本手話」というモノは存在していると私も思っていますが、では、何処で線引きをするのかというのは非常にデリケートな問題ではないかとも思っています。ですから、殊更日本手話だけを取り出してどうこうというのは違和感を感じるんですよね。ろう者の手話にはとても幅広い広がりがあります。育成歴に関わる問題ですから簡単に日本手話だけにする事も出来ませんし、それが正しい事だとも思っていません。つまり、どんな手話であろうと、それが使われているという事が大切で、現実に使われている手話であればどんなモードの手話であろうと、大切な言語の形態だという事です。
 私の地元の通訳者で去年手話通訳士試験に合格した通訳者が、「日本手話通訳士という資格があると良いと思います」と非常に思慮の足りない発言をしています(一部ろう者にはとても歓迎されたコメントだったようですが)。日本手話だけに拘る通訳者は使い物にならないと私は思っているんですよね。当然ながら日本手話を使えない通訳者も使い物にはならない訳ですが。
 せっかくの検定ブーム、せっかくそれぞれの団体が知恵を出して検定試験をしようと考えているのなら、それぞれもっと特徴を明確にして、棲み分けをするべきだったんですよね。手話のすそ野を拡げるという意味で最初に始めた検定協会の試験が存在していた訳ですから、それとは違ったフェイズを特徴とした検定試験をろう連主導でする。日本手話にこだわるのなら、日本手話を特徴的に捉えてその部分に焦点を合せた試験をするというように様々なフェイズがあったと思うんですよね。それ以外にも、スウメイさんが例として出されていた英語の検定試験のように、例えば、建築に関する手話、医療に関する手話等、専門領域毎の棲み分けというのも考える事が出来ますね。今のままだと、関係者は解っていても、一般の人達に誤解や誤った理解を広めてしまう可能性がありますね。
 

こうした問題で、

 投稿者:スウメイ  投稿日:2008年 8月20日(水)06時28分42秒
返信・引用
  現在、手話検定は2つの検定がある。

手話技能検定
全国手話検定 というのがある。

最初に出来たのは手話技能検定で、2番目が全国手話検定となっている。最初に出来た手話技能検定は「商標」として登録されていて、「手話検定」というのは法的には基本的に手話技能検定を指す。

商標というのは特許庁が管理しているので、問い合わせれば、手話検定は手話技能検定となっている。

なので、全国手話検定というのは法的には「類似商標」となる。つまり似ている商品を作っているようなもの。分かりやすく言うなら、コカ・コーラとコラ・コーラという名前をつけるようなものでこれではお客さまが混乱してしまうので、基本的には誤認を前提としているケースがある。お客さまに罪はないんですよ。

日本航空は日航、全日本空輸は全日空と区別をわかりやすくしていますが、もし「全日航」とすると2社が合併したような誤認を与えてしまいます。

「類似」というのはややっこしい。ここで、逃げの手がある。類似だと思いませんと逃げるのだ。もし、コラ・コーラがコカ・コーラを類似だと思いませんと話す。裁判になって負けても、お金を払わない方法もある。そこで、改めてお金を払う為の裁判をしなければならない。その間にも損失や時間を費やす。それでも逃げの手は沢山ある。コカ・コーラなら、優秀な弁護士と大量のお金をかけて、戦う事も出来る。それでも損失を取り戻すのは難しい。 悲しいけど、正しいものが常に勝つ訳ではないが、、、スウメイは正しいコカ・コーラを勧めたい。ペプシとコカ・コーラなら、飲む種類は同じだが、商品名は違うし、お客さまの好みで判断できる。

ここで分かりやすい例を出そう。 アイホン(名古屋市)とAppleが協議 「iPhone」と商標類似で、両社とも話し合ってクリアしている。ビジネスとしてはこういう風に話し合う事は当たり前なのだが、そうでもない場合は悪質と見なされる。許可をもらえば、基本的にOKなんである。

で、英検の場合はどうなのか?というと法的な問題をクリアしている検定もある。検定というのは客観的な評価をしてもらう事なので、検定を混乱させることは非常に痛い問題なのである。 英検(正式名は実用英語技能検定)というと基本的には「日本英語検定協会」を指す。英語の検定は他にもある。工業英語能力検定というのもある。これは工業に特化している。検定試験の基準や範囲を各々の協会なりに工夫している。

で、SONYとSQNYだと誤認しやすい。オレオレ詐欺も、なんとかセンターというのも誤認させる事を目的としている。悲しいけど、ビジネスの世界ではそういうのはよくある話、売れる商品はコピーされてしまうのが常ではある。スウメイも基本的に商売をしていると悪意のある人たちと接する事もある。しんどい事も多い。基本的にはビジネスは信頼関係が大事だと考えています。

しかし、もっと混乱するような手話検定が出た! 日本手話普及協会がやっている団体で、日本手話検定なのだが、HPを見ると手話技能検定と似ているなあと思う。

手話技能検定 http://www.shuwaken.org/index.htm
日本手話検定 http://www.nihon-shuwa.com/index.html

比較すると似ているなあと思う箇所がある。パクリ?偽装?

スウメイが心配なのは、全体の手話検定の評価を貶める事になってしまうのではないのだろうかという事もある。

掲示板の皆さんなら、客観的に判断できるだろうと思う。こういう実態がある事にどう思うのだろうか?

そして手話の世界を広げる為には、行く道は違えとよりよい検定を作り、棲み分けていく事だと思う。手話技能検定は手話に関する技能を検定し、全国手話検定は手話のコミュニケーションを評価する検定という形で、特化する内容を分かりやすくお客さまに誤認させないように配慮する必要があると思う。

特に2番目の全国手話検定はそうする必要があったと思う。3番目の日本手話検定も本来なら新しい評価、新しい特化した部分を検定するならよりよい検定の一つとなったと思う。共食いのような構成になっている。

それにしても人の業とは恐ろしきものだなあと思う。
 

Re: ねらいは何処にあるのか

 投稿者:kaz  投稿日:2008年 7月12日(土)16時35分37秒
返信・引用
  > No.221[元記事へ]

 しまさん、ありがとうございます。聞きたい時にすぐにご意見いただけることでまた考えることができます。
 福祉課主催の講座のねらいには、指導する聴覚障害者のエンパワメントも含まれると考えているので、正直、最初から指導力は望めないのが実情のはずです。なのに、やはり最初からカリキュラム通りにねらいを達成して欲しいとも考えてしまうのですよね。もちろん、そのために研修センターの担当者講習に行ってもらったり教師センターの講師にはるばる来ていただいて研修をしたりと、こちらとしては機会を作っているのですが、遅々として進まない、という感じ。何事も積み重ねが必要ですから、年数回の特別な研修だけではなくて、例えば自分らが指導した講座の反省を積み重ねられればと思うのですが、これまた解らない者同士が集まっていても空回りするばかりで。
 カリキュラムのねらいを達成させることとろう者との関わりのどちらを優先させるのか、文字通りねらいは何処にあるのか、とにもかくにも決めてかからなければなりませんね。そして、空回りに思える集まりでも、ともかく積み重ねることで今後道が開けることを願うばかり、ですね。
 地方での養成で功績を出すには、限りなく時間がかかります。でもやるっきゃないです。
 

ねらいは何処にあるのか

 投稿者:川辺のタヌキ  投稿日:2008年 7月 7日(月)21時40分35秒
返信・引用
   kazさん、お久しぶりです。
 ナチュラルアプローチはとても魅力的で良い方法のように見えます。事実、とても良い方法なのだろうと私も思っています。が、これには一つ落とし穴があって、誰もが簡単に、すぐに指導出来る方法ではないという事なんですよね。そのため、まずは講師自身が研修を受け、研修の中で実際に模擬授業を何度もしながら指導を受け、何処をどうするべきなのかを学ぶ必要があります。このあたりが従来の手話指導法とは違うところです。効果的な教え方、効果的な教材の使い方を学んだ上で、実際の指導に当たるというステップを踏まなければ講習会の本来の意味とはかけ離れたものになってしまいます。
 「地元の手話指導者を育てる」事を講習会の目的の一つにしているところもあるようですが、受講生は教材ではないので、「今回は失敗だった」では済まない事が沢山あります。その意味でも、ろう者の指導者になりたい人たちのグループを作り、その人達の中で模擬授業などを繰り返しながら指導力をつけていくようにすると良いのではないでしょうか。
 「ろう者がひとりで教える」という事については私は別段異論はありません。ただ、通訳の指導育成となるとろう者ひとりというのはどうしても無理があると思いますし、通訳者自身が関わり、指導する事がどうしても必要だと思います。これは音声語通訳に関しても同じ事で、英語の通訳者を育成するのはアメリカ人やイギリス人でなければいけないという事はない訳で、それと同じように手話通訳者を育成するのは必ずしもろう者でなければいけないとは思えません。
 これは手話通訳者の育成に関しての事で、とっかかりの部分は出来ればろう者によるものの方が私は良いと思います。そこには、kazさんのおっしゃるようなろう者との関わりを学ぶという意味も含まれていると思います。そして、それはとても重要な事、もしかすると手話を覚える事以上に重要な事かも知れません。ただ、それだけで終わってしまうのはとても勿体ない事ですから、出来る事ならきちんとした養成を受けた講師が担当する事が望ましいと思います。
 

ろう者の単独指導

 投稿者:kaz  投稿日:2008年 7月 7日(月)07時27分33秒
返信・引用
  まだそんなこと。と言われることを覚悟で。今回は奉仕員養成です。地元ろう者の一人があのナチュラルアプローチに傾倒しています。県外で行われた講演を聴いてろう者が一人で指導することに執着しているので、ここ数年間教授法の情報などさまざまに提供してきました。で今年基礎課程数回を担当してもらうことにして、先日見学をしたのですが、正直がっかりしました。彼はナチュラルアプローチではなく、テキストに従ってただ通訳をつけずに説明しているだけなのでした。受講者と言えば、分かったような分からないような雰囲気で、質問がある時も手話が通じないので止めてしまう状態でした。ただ、かといって不満なのか、と言えばそうではなく、ここがみそなのでしょうが、ろう者が一人で指導するということの効果は、こういうことと考えるべきなのでしょうか。ねらいを達成するということより、通訳を介さず直接対する、ことで、テキストの手話そのものを習得することよりろう者との関わりを学んでいく、ことで良しとするべきなのでしょうか。  

しばらくです。

 投稿者:桃象  投稿日:2008年 5月 8日(木)17時08分14秒
返信・引用
  しまさんは地元の通訳者協会の非会員になってしまったそうで,
しまさんらしくないなぁと思っています。

そう言えばしまさんが関わっておられる手話カレッジのビデオが関東地方では好評です。
「木のつぶやき」というブログにも書き込まれたのにはちょっと驚きましたが,
こういう活動が少しずつ手話通訳養成や手話啓発の旧来のシステムを変えていくのかもしれないとも思いました。

こちらはといえば,何の因果か,全日本ろうあ連盟のある部の部員になり,そちらの方でも
本当に忙しくなりました。地元のろう団体はそろそろヒラの理事になろうかと考えているところです。

==
 

Re: 通訳者の養成

 投稿者:kaz  投稿日:2008年 4月19日(土)08時25分19秒
返信・引用
  > No.217[元記事へ]

 我が市でも自力では試験は行っていません。県聴協登録試験合格者を自動的に登録するやり方です。他人の何とかです。ところで、登録試験というのは、派遣元への貢献度も合格基準に加味されるものと知って、妙に納得しています。普段の活動が問われるのだと。ろう者との距離感とかそういうものが影響するのでしょうね。聞き取り、読み取り、要約と取り出して個別に学習するよりやはり総合力、ですかあ。実践的だけれども、習うより慣れろ、の世界じゃあないですか。自分もそうして育ててもらって今に活きているのだけど、専門職の養成はまた違うのではないですか。と言って確かにそれでは実践力のある人は育たず、大きな矛盾だと思いますが。しまさんの言われるOJTがきちんとした形で通訳者養成に組み込まれる必要がありますね。
 我が市は毎年とは言わなくても隔年ぐらいに1-2名の増員があればなんとかなりそうなんですよ。ほんとに前向きな人材だと、どんどん現場に出ていただきたくなります。医療場面などは単数派遣になるので、確かに研修でロールプレイを積んでいただかなければと思いますね。そのためにはもっとお互いに通訳状態を開放して論議し合わなければなりませんね。
 と、以前話題になった読み取り通訳の文字化学習やりました。愕然ですね。ろう者も発見があったようですよ。でも、技術じゃあないそうです。大切なのは守秘力だとか。うーん、解るけど、もう一押し必要じゃないのかなあ・・・・。
 

通訳者の養成

 投稿者:しま  投稿日:2008年 4月11日(金)19時16分49秒
返信・引用
   養成に関しては何処とも苦労をされているようですね。
 お恥ずかしい話ですが、私の地元の登録は試験を実施していません。今年度から面接試験をするという事になったようですが、内容に関しては色々と問題があるようです。上級修了者の実力も、厳密には手話通訳養成課程ではありませんし、初級から1年間の期間、手話の学習をしてきただけの人ですから、はっきり言って、通訳者のレベルとは到底言えません(多少は通訳についての学習もするようですが)。こういう人たちをそのまま受け入れるという事については私は以前から疑問を呈していたのですが、試験の実施案についてもなかなか受け入れて貰えないまま来ているのが現状です。今年度から実施するという面接試験も、昨年度の年次総会時に、緊急動議で提案したものの1つに「登録試験を実施せよ」というものがあって、多くの衆目の中で、「試験実施についての具体的検討をする事」というのを呑ませたので、渋々そうなったというのが実情のようです。現実にどのような検討が為されたのかというのは一切公開されていません(ここが問題だと指摘しているのですけどね)。
 そういう事ですので、通訳協会の入会時にの実力というのは全くもって信用出来ないものと考えて良いと思っています。ですから、入会後にいわば研修期間というか、実習期間というか、養成期間というか、そういう期間を設けて、その中で実践的トレーニングを積んで現場に出て行く準備を整えるというようにするべきだと思っています。ですから、基本的に実習内容はロールプレイや模擬通訳といったものに絞り、時々実習として現場の通訳(ボランティア通訳のような現場を確保しておいて)を指導官立ち会いでするようにするのが理想でしょうね。
 実は府の養成講座の上級を受け持っていた時に、出来るだけ実力を付けて卒業して貰いたいという思いがあったので、教室での授業は殆ど模擬通訳、事例研修、ロールプレイで、年に4回の実習をした事があります。この年の卒業生は今も府の登録の第一線で頑張ってくれていますが、卒業時に通訳士試験に3名合格していました。ただ、現場で使える力と、試験に合格するための力というのは別物だとは思いますけど。
 少数精鋭主義、その時だけを取り出すととても良い方法だと思います。ニーズを満たす十分な通訳者が揃っていれば多く入らないのかも知れません。が、先々の事を考えると、ベテランだけでは年々高齢化していくばかりで先がなくなってしまう可能性があるんですよね。毎年1人、2人でも構わないので、常に新しい人が入ってきて、その人達を周囲全体で育てていける状態が一番良いんじゃないでしょうか。
 

Re: 養成事業について

 投稿者:kaz  投稿日:2008年 4月11日(金)07時40分31秒
返信・引用
  > No.215[元記事へ]

4/8のエントリーのあの部分に引っかかる人ってなかなかいないと思いますが、

そういう意味で、通訳派遣事業とは別に養成事業を実施する必要があると考えている訳です

                                 (しまさん)


 そりゃそうでしょう。ちゃんと読めば当然のことです。相も変わらずのバカさ加減に目点になられたでしょうに、優しいリアクションありがとうございます。
 (増やした通訳者を派遣事業に組み入れず養成事業を設ける????しかも、今地元では奉仕員養成のみなので、ますますこんがらがりました。)

 しまさんの地元では、上級講習会なるものを修了した時点で派遣登録されるということですが、その講習会の受講条件はあるのでしょうか。また、内容的に登録レベルにまで対応できるものなのでしょうか。それは通訳者養成とは別ですか?

 通訳者養成のカリキュラムには事例研究や模擬通訳・ロールプレイが組まれているのですが、実際に養成中にはなかなか充実させられないです。ここで充分にトレーニングできれば試験にも受かり易いのでしょうけど。

 登録できなければ現場にも出られないので、通訳者としての資質を身に付けないまま試験にだけ向かっているかた達をどうすればいいのか、大きな悩みです。と言って、講習会修了だけではさらに不安です。少数鋭利主義、では怒られるでしょう・・・か。
 

養成事業について

 投稿者:しま  投稿日:2008年 4月 9日(水)22時14分19秒
返信・引用
   >ここのところ、もう少し詳しく教えて下さい。
                 (kazさん)

 kazさん、ご質問ありがとうございます。4/8のエントリーのあの部分に引っかかる人ってなかなかいないと思いますが、なかなか良い所に目がいきましたね。
 手話通訳事業をする上で、いつも悩みの種の1つとして存在しているのが通訳者の人材的な不足、それも、慢性的な人材不足です。新しい人が育たないとコーディネーターやベテランは嘆いている訳ですが、反面、新しく通訳に登録した人の中には、「現場の経験がなかなか積めない」という悩みも存在していたりします。コーディネーターの中には、新しい人を積極的に医療現場の通訳に出したりという事をしている人もいるようですが、果たして、それが正しいあり方なのかというと、私は違う気がするんですよね。「現場の経験を積んでこそ一人前の通訳に育っていくのだから、積極的に現場に出すのは良い事だ。」という理屈もあるでしょう。でもね、一般企業の仕事ならどうなんでしょうか。
 一般企業でも、積極的にOJTはしています。机上の学習では絶対に学べない現場の空気や展開に出来るだけ慣れて貰うという事がこれらの大きな目的ですが、その場合、必ずベテランの先輩が付いていて、対処出来ないような状況に陥った際にフォロー出来るようにしています。これはどうしてなのでしょうか。答えは簡単なんですよね。現場は新人を育てるのが目的の場ではなく、あくまでも顧客がいて、その顧客への対応が最重要だからです。だからこそ、顧客に迷惑がかからないような体制を整えた上で、OJTを施します。振り返って、通訳現場はどうでしょうか。そうやってベテランの先輩通訳さんなりコーディネーターが同行して何があっても一切の迷惑がかからないような体制を敷いて実施している所というのは非常に少ないのではないでしょうか。これこそが大きな問題だと私は思っているんですよね。
 特に、医療現場の通訳は、場合によってはその人の命に関わる通訳をしなければいけない非常にストレスのかかる現場ですし、利用者側もとても大きなリスクを背負う事になります。新人通訳者が行って、経験不足故その場に存在している問題点に気が付かず、自らの伝達の不備にも気が付かずに帰ってきた場合、どうなるでしょうか。現場で、それがとても大きな問題である事に気が付き得る存在は通訳者であるはずですが、それに気が付かずに見過ごされたリスクは、結果として利用者にかかる事になります。ですから、OJTをするのなら、それらのリスクを十分に考慮した上で、コントロール出来る常態化に置くようにしなければいけないと思うんですよね。という事は、OJTをおこなう際のリスクが小さければ小さい程良いと言う事になります。
 「派遣事業とは別に養成事業を」というのは、私の地元のような特殊な状況の中での事かも知れませんが、現実には、通訳者を要する期間全てに言える事だと思っています。つまり、OJT以前の学習をもっとしっかり構成し、OJTの際に利用者にかける負担を出来るだけ軽くしておく事が必要だと思っている訳です。では、何をどのようにすればそれが可能なのかという事ですよね。例えば、航空会社の場合はどうしているのでしょうか? 飛行機の操縦というのも、経験が重要なんだそうです。危険な状況に陥った際に冷静に事態を理解し、対処する事がパイロットには求められます。彼らは実際の飛行機を操縦する前に、全く同様の機能を持つシミュレーターで何度も何度も繰り返し訓練し、緊急事態についても想定し、訓練をした上で実機の操縦訓練を始めます。機種転換の際にも同様にシミュレーターで慣れておいた上で実機の転換をします。通訳もこれと同様に現場に出る前に十分な習熟をしておくようにするべきだと思っています。
 これを手話通訳にあてはめてみると、現場で実際に通訳をする前に、十分に養成期間を設け、その中で、ロールプレイスタディや模擬通訳といったシミュレーション学習をします。その都度その都度のシミュレーションの中でどんな事に気付いたのか、どういう対処が本当なら良かったと思うのかを多角的に話し合い、どうして自分は実際にしたような行動を取ったのか、するべきだった行動とどう違っていたのかを理解するようにしていきます。また、自らの通訳上の課題を明らかにし、その課題を念頭において課題に取り組み、次のステップに進んでいきます。また、養成期間の中で、研修生として通訳をする機会を設け、指導担当者がその様子を観察して評価し、話し合いをしていくようにします。こういった丁寧な養成期間を設ける事が必要なんじゃないかと思っています。
 手話通訳者を養成するというのは、結果として自分達のなかまを増やし、最終的には自らの負担を軽減したり、利用者の利便性を向上させたりする事が出来る訳で、自らの為にも仲間を増やすという事が必要になります。また、私の地元のような場所では、通訳の質と量の向上は事業実施者として協会にも責任があると思っています。そういう意味では、協会が率先して自らを守る為の事業として通訳者の養成をしなければいけないと思っています。
 そういう意味で、通訳派遣事業とは別に養成事業を実施する必要があると考えている訳ですが、お解り頂けたでしょうか?
 

通訳者の増員と質

 投稿者:kaz  投稿日:2008年 4月 9日(水)07時23分33秒
返信・引用
  通訳者を増やす事はとても大切な事です。が、それは派遣事業に組み込むのではなく、養成事業を別枠で設けるようにするべきではないかと思います(しまさん4/7ブログより)

  こんにちは。いつも拝見しています。
  ここのところ、もう少し詳しく教えて下さい。
 

楽園からの追放

 投稿者:しま  投稿日:2008年 3月26日(水)00時28分49秒
返信・引用
  > ブータンの試みはとてもいいと思うんですけど,そのブータンで難民が生まれていることを
> どうおかんがえでしょうか?
              (しま)

  桃象さん、ご意見ありがとうございます。
 実は正直なところ、ブータンの今回の試み、つまり民主化の歩みが本当に良かったのかどうか私には判らないんですよね。ブータンのこの話を聞いた時に最初に頭に浮かんだのは「楽園からの追放」だったんですよね。前国王と現国王の政策は国民本位のモノで、それによりブータンに住むチベット仏教徒達はとても幸せな生活をしていた訳ですよね。優しい国王に全てを委ねていれば安心して生活出来た今までとは違い、これからは自らの幸福を自らが考え自らが手にしていかなければいけない訳で、これ自身が幸福であると共に、大きな荷物を背負うことになったわけで、今後ブータンの人達がどんな道を選んで歩んでいくのか、他人事ですがとても興味の持たれる状況ですね。
 ご指摘の「ブータンの難民」というのはつまり、前国王により実施されたいわゆる「ブータン化政策」により、南部のネパール系民族(ヒンドゥー教徒)を中心とした人達が強引な同化政策から逃げるために難民化した事を指していると思いますが、絶対王政の状態ではまずこれらを改正する事は出来ない訳で、民主化が進めば人口比率としては実はンガロング民族(支配民族)の方が少ないので、強引な同化政策は止めざるを得なくなるのではないでしょうか。民主化はいわばエントロピーが増大していく様子に似ている訳で、ブータン国内においても、各地域の民族性や地域性、風土性というのが認められなければいけなくなるんじゃないかと思っています。その辺りが中国の共産主義(社会主義)と違う点でしょうね。中国は今後も同化政策を強く押し進めていく事でしょうし、チベットの次は台湾や新疆ウイグル自治区が同化されていくのではないでしょうか(ゆっくりとではあるでしょうけど)。
 中国の事はさておき、ブータンは今後の民主化の中で、多民族国家としての将来を見据える事を余儀なくされる事は間違いないでしょう。こうなった時、ブータンは何をして「幸せ」と位置づけるのか、どうあるべきなのかと言う事を国民ひとりひとりが考え、決断する事を強いられる訳で、今までのように国王の判断に任せる事が出来ない分、場合によっては苦渋の決断を強いられる事になるかも知れません。とはいえ、国王は一定量国の政策決定に関与出来る事になっているようですので、どうなるかは判りませんけどね。
 

Re: 費用の問題なんでしょうかね

 投稿者:桃象  投稿日:2007年 9月26日(水)07時32分8秒
返信・引用
  >A県のろう者がB県に行って通訳を受けた場合、A県(もしくはa市)から相当額の費用が
>B県に支払われるというような仕組みが出来ればいいのですけども。

A県のろう者がB県に行って通訳を受けるときには,普通はB県の手話通訳者が派遣されますよね。でもB県の聴覚障害者情報提供施設がそれを拒否するというようなことがおきているんですよ。つまりA県のろう者の手話通訳のためにA県から手話通訳を派遣して欲しいというわけです。まぁ隣県同士だからこういう問題が起こるんですけどね,さてどうしたものかと案じているところです。

==
 

費用の問題なんでしょうかね

 投稿者:川辺のタヌキ  投稿日:2007年 9月21日(金)07時00分3秒
返信・引用
   > これが関東地方では今大問題になっているというか,ある県の情報
 > 提供施設の姿勢が問題になっているんです。
          (桃象さん)

 お立場もあって大変ですね。詳細が解らないのでどうとも言い様がありませんが、予算的な問題が絡んでくる事なので、厳しい方向に向いているという事はあるのかも知れませんね。例えば、A県のろう者がB県に行って通訳を受けた場合、A県(もしくはa市)から相当額の費用がB県に支払われるというような仕組みが出来ればいいのですけども。この場合、問題になるのは圏域毎の謝金の設定の差なんでしょうけどね。ホントに多くの課題がありますね。


 > そういえば11月の連休には京都へ行きます。
          (桃象さん)

 余裕があればお会い出来るといいですね。実は11月2日が当市の対市交渉です。もしかしたら新市長が出席するかも知れません。
 

レンタル掲示板
/12